365日働く母さんと起立性調節障害の息子とのブログ

働きながら起立性調節障害の息子さんと奮闘する母さんのブログです

出席日数問題

息子の体調を、考慮して、行きたくない、と言った時はすぐ休ませた。

主人は、遅刻早退の上、欠席なんて、と怒るので休む時は、こっそりと休んだ。

 

3.4時間目、給食、まで頑張れる日もあれば

4時間目だけで帰ってくる日もあり。

保健の先生が給食だけでも良いのよ、

と言ってくれたので、息子に伝えてみた。

 

そもそも食欲がそんなに無いのに、あの量を食べるのは苦痛、残すと言う事は俺のプライドが許さない、

 

なるほどなー、誰しもが給食が楽しみというわけでは無い事を知った。

 

本人が希望する時は休ませてはいたが、

息子は中学生。

高校入試の事などに全く知識が無くなんとなくこんなに休んで良いものなのか、とても心配になった。

まず、担任の先生に相談。

以前の学校で息子と同じような症状で車椅子登校している生徒を受け持った。少しずつ改善し今は公立高校に通えている、とのことだった。

欠席に関しては、先生が入試の時に高校へ提出する書類に病気で欠席したことを書くところがあるため心配ない、と説明を受けた。(不真面目だったのでは無いことの証明になるらしい。)

 

違う日に学年主任の先生に偶然会ったため、

同じ質問をした。

同じ様な説明で、心配はないとのことだった。

もしかしたら、病気の証明になるので主治医の診断書を出してもらうと確実かもしれない、と言われた。

 

翌週が診察だったのでその時に早速診断書を書いてもらった。

内容としては、

病名: 起立性調節障害、身体表現性障害

上記の病名のため、自宅療養が必要

というような内容だった。

 

すぐ、学年主任の先生に提出。

 

しばらく経ったある日、校長先生が話しをしたいと言っている為学校に来てほしい、と連絡があった。

ドキドキしながら学校に行くと、

すぐに校長室に通された。

今回、来て頂いたのは出席日数のことです。

と言われた。休み過ぎで注意を受けるのかと思いドキドキした。

 

今回、診断書を出した理由を聞かせて欲しい、と言われた。

病気の為欠席が増え、今後の彼の進学などに影響が出る可能性を考え、学年主任の先生に相談したところ診断書があると良い、とアドバイスをうけた、と伝えた。

すると校長先生は、わかりました。

では、こちらの画面を見てください。

とパソコンで作ってあった資料を画面で開いた。

そこには、欠席日数の説明などが書いてあった。

息子さんは欠席としては多いですがこれは、病気によるものという明らかな理由が診断書によって証明されています。

このような生徒の場合、オンラインで授業を受けている事の証明ができれば、欠席ではなく、出席扱い、となります。厳密には出席とは異なりますが、欠席ではなくなります。息子さんの場合、オンライン授業に参加した履歴をみると4日は欠席になりますが、後は出席扱いになります、入院中もオンライン授業に参加していたので出席扱いにできます、と言って下さった。

今後は、オンライン授業受けたら、ノートにその事を記すか、学校が提供しているオンラインの勉強アプリで勉強した記録が有れば出席扱いです、と言われた。

遅刻、早退をしても出席です、と教えて頂けた。

 

おーー、息子ーーー。

私が仕事に行っている間もちゃんと自分でオンライン授業受けてたんだーー、とホッとして校長室で大泣きしてしまった。

 

この学校は、起立性調節障害になんて優しいんだ!

 

息子はあまり気にしてないかと思っていたが校長先生から聞いた話の内容を伝えた。

え!マジで!!!受けててよかったーーー、

意外にも嬉しそうにしていて驚いた。

 

 

こうして出席日数問題は解決した。

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい生活が始まる。

息子の気持ちを聞くことができ、

こちらの意思を先生にも伝えられて、

6月頃から息子の負担が軽くなる形での生活が始まった。

息子の為とはいえ、これが結構大変。

朝、10時ごろ仕事を抜けて、息子を迎えに行き、学校の準備を一緒にして送り届ける。

 

帰りは1時ごろに、

仕事を抜けて学校に迎えに行く。

 

落ち着いて仕事が出来ず、

仕事がたまっていく。

あっち行ったりこっち行ったり、結構ヘトヘト。

疲れが溜まってきて、イライラもしてくるが、

息子にはあたらないように、深呼吸。

それでも言葉が何となく強くなってしまう。

これがなかなか難しい。

主人はあまり、この登下校の方法が気に入らず不機嫌。その上、私が抜けるため、仕事が溜まり疲れが溜まってきている様子。

それでも、この方法を続けてみるしかない。

 

ある日の朝

布団に横になっている息子に

主人が、学校にちゃんといく様に、と急に話しをしだした。

泣きじゃくる息子。お腹痛いよ…

 

やっと、方向性が決まったところだったのに。

 

本人はちゃんと自分の置かれている状況を理解している、これ以上のことを何も今は言わないで欲しい、と息子をかばった。

 

結局、俺は、子供たちの事に関わったらダメなんやな、おまえは頑固だから他人の意見を聞き入れられないんだ、と主人は拗ねてしまった。

 

息子とは少し近づいたが、

主人とは大きな亀裂がはいってしまった。

 

 

 

 

 

試行錯誤の日々。

息子が楽しく過ごせる様にしよう、

とは思ったものの、何からすれば良いのか…

息子の気持ちを聞かなければと思い、

息子に色々と質問しても、

さぁどうなやろうね、

僕はどうしたら良いんやろうね、

よくわからない、

そんな答えばかりだった。

 

その日からYouTubeで、思春期の子についてや、不登校の子に関する事、教育について、など沢山の動画を見出した。

元学校の先生、フリースクールの先生、元不登校だった方、現役の塾の先生、など沢山の種類の動画があり、手当たり次第に見た。

その中で息子に対して私のすべき点をいくつか自分の中でまとめた。

 

・学校へは無理矢理行かせない。

・話しを傾聴する。

・勉強をしろと言わない。

・共通の話題を持つ。

・質問は答えやすい聞き方でする。

・こちらの意見を押し付けない。

・ダラダラと長く話さない。

こんな感じだ。

 

我が家は自営業。

いつもなら仕事が始まる1時間以上前には職場に行き、残っている仕事やその日の準備、掃除をしていた。雇っている人は居ない。

主人が、しばらくは私が息子側にいる様にしてくれ、私が出勤するまでの間は主人が1人で仕事をする様になった。

主人とは相変わらず冷戦中だが、子を思う気持ちは一緒。母親が側にいるのが一番だと思ってくれている様だった。

息子が登校する時間まで息子との2人の時間ができた。

 

YouTubeで動画を見て覚えた事を少しずつ実行していく事にした。

朝、目が覚めにくいので、まずはカーテンを開け外の光を入れる。

目が覚めても、すぐに起き上がれない。スマホで動画を見ている。息子の見ている動画をゴロンとしている息子の横で見てみた。横に寝転がると私が見やすい様に画面を少しずらしてくれる。嫌では無いらしかった。

その内に、これ面白いよ、これ見て、と話しだした。

子供と同じゲームをやると良い、とYouTubeで見たため、息子がおススメしてくれたゲームアプリをインストールした。

息子に攻略法を教わりながら、2人で寝転びながらゲームをした。

これは結構話が弾んだ。

ある日ゲームをしながら、何となく質問してみた。

私「例えば、学校行くとして、何時間目からだったら行けそう?」

息子「1・2時間目は一番辛いから3時間目ぐらいかな。」

おーー、答え返ってきた。

私「3時間目から6時間目までは行けそう?」

息子「それは、自信ない。」

私「そしたら、給食までは?」

息子「行けそう」

とすごく明るい笑顔でゲームする手をとめ

私を見てくれた。

私「よし、じゃ先生に遅刻の電話してくる」

 

息子と話しをしたその日の3時間目が始まる前の休み時間、息子の車椅子を押して教室まで連れて行き授業前の担任の先生に話しかけた。

これからしばらくは3時間目〜給食までの登校で様子を見たい、と伝えた。

先生は快諾してくださった。そして、

毎朝の学校への遅刻の連絡はお母さんのストレスになるのでしなくて良いです、欠席の時だけ連絡して下さい、と言ってくださった。

 

やっと一つ、息子の気持ちを尊重した方法が見つかった、と思いホッとした。私だけではどうしたら良いかわからなくて、先生の力を貸してください、と、先生の前でポロポロと泣いてしまった。

先生は、大丈夫ですよ、と言ってくださった。

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか大変な中学生活

だんだん朝起きれなくなって来た。

起きたくなさそうな様子にも見えた。

以前は、目を覚ますために早く起こして、と言っていたが、もう起こさないで、と言われた。

目が覚めたとしても、すぐには起き上がれない。

起き上がると、

目眩する、頭痛い、と訴える。

息子が朝、訴える症状の中で一番多かったのが腹痛だった。

軽い腹痛〜重い腹痛があるらしい。

学校に行く10分ぐらい前になると腹痛を訴え出す。重い腹痛だと動けなくなるが5〜10分経つと自然と治まった。

毎日、送り迎えをしていたが、その短時間の乗車で車酔いしたりする様になり車からすぐ降りれなかった。

ギリギリの時間に学校へ到着する様になった。

保健の先生からは、時間にこだわらず登校して良い、とは言われたものの、

どうしたら良いかよくわからなかった。

 

本人が毎朝、行き渋る様になるった。

 

なんとか毎日登校させようと頑張った。

 

中学卒業後どんな風に将来、進んでいくのか伝えれば行く気なるかもと考え、

公立高校、私立高校、通信制高校、など、わかりやすくイラストになった物を見つけて印刷し、息子に見せて説明した。

そして、中学にちゃんと行かないとその先の高校はみんなと同じ所に行けなくなる、と説明した。

もう僕は、みんなと一緒にいられないの?

と息子が言う。

追い詰めてしまったと気が付く。

 

また、ある日は、明るく送り出せば良いのかもと思い、調子が悪そうな息子に、大丈夫、大丈夫、すぐ治るっ、と車に無理矢理乗せ学校に連れて行った。

 

そのほかにも、学校に行けたらスタンプを押す、とか、お小遣いアップする、とか色々提案すが、全て息子に却下された。

 

ある日の日曜日の夕方、息子が急に泣き出した。

学校行きたくない、、、

どうしたの?何が辛いの?と聞く。

学校のことを思い出すと動悸がして苦しい、

と言った。

わたしも思わず涙が出てきた。

どうしたら良いか分からないが、

このままではいけない様な気がした。

どうしたら良いんだ?

何がいけないんだ?

 

その後、起立性調節障害について久々にネットで調べた。診断を受けてからは調べてはいなかった。

起立性調節障害、というワードで調べると、私がこれまで調べていてもうわかっている病態のことばかりだった。

その他に、不登校、心、など入れて検索するとわたしの知らなかった事が色々と出てきた。

ネットサーフィン、情報を読み漁る。

情報が足りない、と思い、その日のうちにAmazon起立性調節障害についての本を何冊か注文。

起立性調節障害の治療に当たっている先生方の本を選んだ。

Kindleを持っていた事を思い出し慌てて充電した。その日の夜に2冊読み上げた。

翌日、2冊届く。

3冊目ぐらいから

だいたいどの本にも書いている内容で

起立性調節障害で注意すべき点が共通していると気づく。

・体の治療

・心のケア

・元々思考に特性があり、学校生活という枠内で生活する事が難しい可能性がある。

 

治療を開始した事で安心していた私。なんでもっとこの病気について深く調べなかったのだろう。

息子は、身体表現性障害、というわかりやすい信号を出してくれていた。

わたしの意識がガラっと変わった。

もっとちゃんと息子の話しを聞こう。

 

これまでのわたしは、学校に息子を送った後の車の中で泣いていた。

友達と歩いて登校する同級生をみると何で息子はあそこにいないんだろう、、、

何もしてあげられない無力感。

神様、どうか息子を元のニコニコした元気な状態に戻してくださいー、いつものあの子をかえしてーー!と叫んで、大泣きしてから仕事に向かっていた。

 

この日を境に泣く事を辞めた。

わたしのできる事をやろう。

息子が楽しいと思える事を毎日しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学校生活が始まる。

退院し、本当の中学校生活が始まった。

相変わらず、足はフラフラで歩けないため

車で送り迎えすることになった。

学校内は車椅子を貸してもらえた。

運良く学校は建物がわりと新しくでエレベーターが付いる。登校時に玄関にいる先生が車椅子を押してくれたり、気が付いてくれた友だちが押して、教室まで連れて行ってくれた。

手の力が入らない、という時が多くあり自分で車椅子をこぐことができない時もあった。

 

退院して初めの週は何とか頑張って朝から登校した。

翌週から、登校しても2〜3時間目で学校から電話がかかってきて、迎えに行くようになった。

授業を受けていると、周りが白黒になっていき、星がチカチカする様に見え、座っていられなくなる、ということだった。

迎えに行くと保健室で待機していることが多かった。

今までの病気の経緯については息子から説明を受けた、と保健の先生。

その説明を聞いた上で起立性調節障害についアドバイスをして頂いた。

・朝が辛い→

  無理して1時間目から来なくても良い

・朝食べれない。授業中、空腹の為吐気と目眩などが起き最悪な体調になる→

  タブレットタイプのブドウ糖を持ってきて学校でお腹空いたら食べる

・水分の摂取→スポーツドリンクを水筒に入れてきて、自分で意識的に飲む様に。

あとは、起立性調節障害は本人が症状を説明しにくいところがあります。たぶん、今もかなり頑張って学校に来ているはずです。

いつの間にか治るのでそれまでは無理しないで、との事だった。

 

また違う日には、

学校からの連絡で迎えに行くと、

学年主任の先生が駐車場の低めの塀に腰をかけ、息子は車椅子に座り、外で待っていた。

急いで来たつもりだったが

待たせてしまったのかと思い焦る私。

遅くなり申し訳ありません、と言うと、

先生は、今日は気持ちの良い日だったので外で待っていました。色々2人で話しましたよ、と言って下さった。

その日は天気が良くて、

爽やかな風が吹いている日だった。

息子の体調は悪かったが、

学校の先生や学校の環境には恵まれていた。

 

学校の先生方は、

体調を気遣い無理のないようにして下さるが、

息子はといえば体調は悪くなる一方。

心にも元気が無くなってきた。

学校に、行きたくないという日が増えたが休んではいなかった。わたしが休ませなかった。

毎日の様に、腹痛、動悸、息が苦しくい、胸が痛い、耳鳴りがする、手に力が入らない、と不調を訴えてきた。

 

ある日、もう休みたいと息子が言った。

私もどうしたら良いのかわからない。

熱があるわけではない、体調は悪いが、休ませて良いものなのか。

風邪でもないのに休むなんて今までの私の常識では想定外のこと。

休ませたら主人に甘やかしているとまた怒られる。どうしよう。私も動悸がしてくる。

 

当の本人は、布団でゴロゴロしている。

もう行かないと決めたのだろう。

 

休みたいといっている子を無理矢理登校させることも出来ず、その日は休ませた。

今日休んだら明日はちゃんと行ってね、

と念を押した。

オンライン授業は受ける様に!

それだけ言い残し仕事に行った。

 

主人に伝えると、

甘やかしているときつく叱られた。

そんなこと言っても、どうしたら良いの?

 

この日から休む日が増えていった。

 

 

 

 

 

花の入院生活と、もう一つの病名。

入院の2日目、

学校からもらってきた

大量の教科書を持って病院にむかう。

前日の検査後の息子の姿が脳裏をよぎり、

泣いてるかも、と心配になり、

急いで病院へむかう。

病室をのぞくと、ウッス、とだけいって

スマホをいじっている息子。

なんや、元気やん!

と思わず息子の頭をくちゃくちゃっとした。

 

便利な世の中になり、

今は入院していてもオンラインで学校に参加する事が出来る。

まだ入学した直後で

オリエンテーションばかり。

先生や、小学校からの友人も

画面越しに話しかけてくれていた。

 

初日の検査こそ、本人は、辛そうだったが、

その後の入院生活はとても満喫していた。

私は仕事で

日中顔を出せないことが多かったが、

食事は美味しい。

看護師さんや先生が来て話しかけてくれる。

スマホをいじりたい放題。

折り紙が好きなので作品を作っては看護師さんに披露していた。

検査の時間になると車椅子で連れて行ってくれる。

2日目から、入院最高、と言い出した。

入院中に、CT、MRIや足の神経伝達の検査、脳波、などなど私もした事がない検査を沢山やった。

入院して4日目頃に翌日以降の食事のメニューを自分で選択する機械を発見。

3種類のメニュー中から好きな物を選ぶ楽しみが増えた。

5日目頃、窓側のベッドが空いたので移動できた。

TV、Wi-Fi、冷蔵庫も申し込み退院する頃には息子にとって最高の巣ができていた。

退院の前日には、退院したくないーー、と言っていた。

 

検査は沢山したが

足がフラフラと力がら入らない状態は

治らないが、悪化することもなかった。

院内の移動はほぼ車椅子だった。

転倒すると危ないので、トイレに行く時は必ず看護師を呼ぶよう言われていた。

シャワーをする時は、わたしが付き添うか、わたしがいない時は看護師さんが付き添ってくれた。

 

退院の前日、

検査結果について話す時間があった。

先生から呼ばれ、面談室に行った。

結論からいうと、どこも悪くない。

足の骨、異常なし。

神経も脳も、問題なし。

その時に告げられた病名は

身体表現性障害、だった。

一番最初の先生のお話の通り、

なんらかのストレスで出ている症状、

との事だった。

薬で治る、という物ではなく、

時間の経過とともにストレスが無くなれば

治っていく、そんな病気だった。

どこも悪くなくてホッとしたが、

これからどうしたら良いのか、

と不安が大きくなった。

 

10日間の入院を終えて、

足はフラフラとしているが退院となる。

念のためにと、車椅子を貸してくれるところを看護師さんが教えてくれた。

病名はわかったが、結局は何も治っていない。

新生活、初っ端からの入院。

この入院で10日間も出遅れてしまった。

結局どこも悪くなかったのに入院させて良かったのかなー。

とはいっても、息子が家に帰って来ることはとても嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式当日、まさかの入院。

前日の神経内科のクリニックの紹介状により、

翌日、市立病院を受診する事になった。

入学式に出席した後、

午後からの受診となる。

 

中学校の入学式は

小学校の担任の先生から

中学校に連絡を入れてくれており、

車椅子を準備してして下さっていた。

本人は、

さすがに初日から車椅子は嫌だ、と、

何とか頑張って自分の足で

参加する事になった。

ふらふらになりながら、

友達にもたれたりしながら、

何とか全ての行事を参加し終えた。

 

入学式終了後、市立病院へ。

診察室にすぐ呼ばれた。

このまま検査を引き伸ばしても仕方が無いのでこのまま入院して全て検査をしてしまいましょう。その間の足の状態の経過を見ましょう、

と言われた。約10日間の入院予定。

入学早々、入院となる。

そのまま、バタバタと入院の手続き。

 

入院初日、採血と髄液検査とのこと。

まずは採血。

検査項目が多い為、採血量が多いとのこと。

ナースステーションに連れて行かれた息子。

しばらくして青ざめた顔で、

車椅子に乗せられ病室に帰ってきた。

採血をした事で貧血状態になり、

気を失ったらしい。

すぐに髄液検査の予定だったが

少し休ませてあげましょう、

と病室のベットで横になる。

ちょうど昼食時間だったが、

1時間後で髄液検査をするので食事は取らないで、と言われた。

激しい痛みやら、髄液をとる体勢やらで吐いちゃう事があるらしい。

少し仮眠とっていると、

先生が髄液検査のため迎えにきた。

車椅子に乗せられ寝ぼけた感じで検査に行った。私は病室で待機。

 

しばらくして、ベットに乗せられたまま息子が戻ってきた。しゃくり上げて泣いている。

髄液検査はだいぶ痛いので、、、と先生。

よく頑張ったね、と声を掛けてもらっていたが

返事をする気力もない様子。

 

病室のベットに移してもらい、

泣きながら寝てしまった。

 

小さい子供なら、

お母さん痛かったよ、と

泣いて甘えてこれただろうに。

今の息子は思春期でしかも場所は病院。

人の目が気になるお年ごろ。

ぐっと歯を食いしばって布団に潜っていった。

ずっとヒックヒックと

しゃくり上げる声がしていた。

私が泣いちゃいけないと思いつつ、

涙が溢れて止まらなかった。

何でこんな事になっちゃったんだっけ???

そのまま、泣きながら寝入った息子。

しばらく寝たら、夕食が出てきた。

朝からなにも食べてなかった息子。

う、うまい!とワシワシと完食し

元気になった。

 

息子がだいぶ落ち着いた感じだったので、

私が家に帰る事を伝えた。

えーー、と少し不安そうな表情。

でもスマホのおかげで、

友だちとLINEのやり取りができて、

気が紛れたみたいだった。

いや、むしろ楽しそうだった。

安心して家に帰った。